ロシア旅行(56)※ロシア旅行(56)<六日目>-2004.10.1-新エルミタージュ3Fへと上がって行く。 最初の部屋は、 「セザンヌの間」である。 よく見慣れた画家の作品の 部屋とあって、何故か緊張から解放されて、ほっとする 感じである。 ポール・セザンヌ(1839~1906) 「近代絵画の父」として知られるフランス印象派の画 家である。 自然を見たままの形態ではなく、円筒、 球、円錐など幾何学的な形態として捉えようとした手 法は、後にキュビズムとしてパブロ・ピカソや、ジョル ジュ・ブラックらに受け継がれた。 セザンヌは、時間と共に移ろう光の効果を追求して いて、自然の印象のみを表現しようとする、印象派 の非科学的技法には不満を持っていた。 『パイプをくわえた男』(1890年) 対角線に沿って身体を傾けた男は、力強い存在 感を示す。 「モデルを見るということは、その人 の性格をつかむことだ」とセザンヌは常々言って いた。 男の憂鬱な表情に、画家の鋭い人間洞 察を見ることが出来る。 『静物』(1882年) 60点以上に及ぶリンゴを中心とした静物画が あるが、セザンヌは同じ題材を用いた作品を ひたすら制作し、光のあり方による多様な表 情の変化を追求し続けた。 『サントヴィクトワール山』(1900年) この題材の絵も、40点近く残されている。 画 家の故郷、南フランスのプロバンスに聳える山 である。 彼は、堂々としたその威容を、1870 年頃から繰り返し描くようになった。 続いて、「モネの間」に入って行く。 クロード・モネ(1840~1926) 5歳の時、一家でノルマンディー地方のセーヌ河 口の街ル・アーヴルに移住した。 モネは少年の 頃から絵画に巧みで、それらが風景画家ブータン の目にとまり、彼等は知り合うことになる。 ブータンはキャンバスを戸外に持ち出し、陽光の 下で海や空の風景を描いていた画家であった。 ブータンと出会ったことが、「光の画家」モネの生 涯の方向を決定づけた。 1874年、パリで開催されて第1回印象派展には、 『印象、日の出』を出品し、この作品が「印象派」と いう名の由来となった。 1890年、パリ郊外のジヴェルニーに移住し、『睡 蓮』の連作を、死ぬまで続けた。 『サンタドレスの庭にいる婦人』(1867年) モネが印象派と呼ばれる7年前、27歳頃に描か れた。 人物も木々も明確な輪郭線を持ち、まだ 光の中に溶け込むほどには表現されていない。 しかし、光の効果への敏感な感受性は、白い服 に木々の色が反映した描写などに示されている。 セザンヌの間・エルミタージュ美術館3F 『パイプをくわえた男』(1890年)・セザンヌ 『静物』(1822年)・セザンヌ 『エクサ付近の大松』(1890年代末)・セザンヌ 『サントヴィクトワール山』(1900年)・セザンヌ セザンヌの作品 追加画像は下記をクリックして下さい モネの間へジャンプ |